もう15年経つんだなぁ・・・2010年01月17日 06:15

早いもので震災から15年。歳食ったなぁ・・・それはまぁ置いといて(とほほ)。
当時は祖母の家に、スパンクというマルチーズの女の子と居候していました。彼女は
生後3ヶ月、私は小学4年生での出会い。一人っ子で、長いこと母親だけだった
私にとって最高の“妹”です。

***

スパンクは一緒に寝ていて、ゆらゆらっと家が軋みだしたあたりで胸に飛び込んで
きました。
大きな揺れが来たとき「ボーンボーン」と、もう何年も止まったままの時計が
鳴り出して、なんだか分からないけどすごいことが起こっていると思ったものです。
電気は点かない、でも外はまだ暗闇、ばあちゃんも無事だし家も壊れてなさそうだし。
前日遅くまで起きていて眠たかったもので、揺れがおさまった後は再び寝入って
しまいました・・・

しばらくして目覚め、TVやら自分の部屋を見渡してびっくり! 何もかも横倒しに
なって足の踏み場もありませんでした。
兵庫県内ながらも尼崎は被害も少なく、水はしばらくチョロチョロでしたが
ライフラインもすぐ復旧。
のん気な朝を過ごしてしまったものの、起きてからの記憶は飛んでます。たぶん
家の片付けに追われていたはず?

翌日、スパンクには留守番をしてもらって自転車に乗って三宮へ向かいました。
とにかく電話がつながらず、神戸の知り合いの安否がまったく掴めなかったからです。
国道2号線沿いをひたすらまっすぐ。武庫川を境に、風景がガラッと変わりました。
カラーからモノクロの世界へ、とはまさに。

歩道は倒れたブロック塀やらの瓦礫であふれ、車道は救援物資を運ぶトラックやらで
大渋滞。
国道沿いの崩れた建物では荷物を運び出す人や、連絡先が書かれた立て看板、
「中に人がいます」との張り紙のある建物などなど。
進めば進むほど、道は険しくなり目に映る風景は厳しいものへとなっていきました。

集合住宅の前で、道路に背を向け、両手に毛布を広げて立っていた男性の姿を
よく覚えています。
倒壊した家屋からようやく運び出されて横たえられた人を、他人の視線から守って
おられました。

何時間かしてようやく到着した三宮。そごうは真っ二つに割れ、なじみの高架下は
陥落・・・通っていたお店やらもほぼ全壊、様変わりした街並みに言葉も出ず、
どうやって帰ったかはこれまた記憶がありません。

・・・もう15年も経ちましたかー。
備えあれば憂いなし、分かっちゃいるけどしっかり平和ボケの兆しが。
この時期にだけじゃなく、毎日ちゃんと意識しとかんと泣きを見そうです。

***

スパンクはこの年の秋に、心臓が一気に悪化して、逝ってしまいました。
この時のことはまた別の日に。ただ震災が起こったとき、一緒にいる子がいてすごーく
心強かったこと、励みになったことへの感謝も忘れることはないでしょう。

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